じりじりと綴らない日記(Primitive Version)

風の赴くまま、自分の赴くままにダラダラと"何かを"書き綴る駄日記
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ラングーン事件文世光事件の動画を見る。
(凄惨なテロ映像につき注意)




(※事件発生時の名称・人名と役職で記述しています。)
ラングーン事件
1983年10月9日
ビルマを訪問した全斗煥大統領一行はこの日、全日程を執り行う前にビルマ建国の父であるアウン・サンの墓所である国立墓所・アウンサン廟を訪れることになっていた。
ビルマを訪れる国賓は必ずアウン・サンの墓所に訪れることが慣習となっていたので、アウンサン廟には新聞記者やテレビ局のカメラマンが多数いた。
テレビ局のカメラマンが偶然撮影したテロ瞬間の映像が↓これ。
http://www.youtube.com/watch?v=eTgP8B-IGug&fmt=18

アウン・サンの遺影が映るシーンが突然激しい爆発音とともに白煙に包まれる。
カメラクルーが爆発が起きたであろう場所に向かうと…
鉄骨組であろう建物の屋根が落ち、瓦礫の下からは韓国・ビルマの政府要人らが下敷きになっていた。瓦礫からはうめき声があがっていた。
このテロ事件では韓国側が17人、ビルマ側で4人が爆死した。なお標的であった全斗煥大統領は到着が遅れたために難を逃れた。

事件後、韓国は「この事件は北朝鮮の仕業である」と断定し、対して北朝鮮は「韓国の自作自演だ」と反論し朝鮮半島は一触即発の状態に発展。
中立国であったビルマは捜査の末、実行犯である北朝鮮の工作員を追い詰め銃撃戦の末に逮捕した。
逮捕された2名(3名いたが1名は銃撃戦で死亡)のうち、カン・ミンチョル大尉が北朝鮮の上層部の命によってアウンサン廟に遠隔式のクレイモア地雷を仕掛けたことを自白した。
この事件が北朝鮮の工作員による仕業で、舞台が建国の父の墓所であるということから北朝鮮との関係が悪化。ビルマは北朝鮮との国交を断絶、国家承認の取消という事態にまで発展した。


文世光事件
1974年8月15日
韓国の光復節(日本は終戦記念日)での朴正煕大統領の演説中に、南条世光こと在日韓国人である文世光が大統領夫人など2名を射殺した。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4604324


↓銃撃前の画像
mung_segwang_01.jpg
右から4人目が陸英修大統領夫人。
2発目が発射される前に画像で左から4人目の人物が文世光が大統領に銃口を向けるのに気づいて壇上まで走るシーンがあった後に3発目・4発目…4発目で陸英修大統領夫人に弾丸が命中する。
朴大統領は、夫人が重傷を負い病院に搬送されたにもかかわらず「私は大丈夫だ」と言って、麦茶を一杯を飲み終えた後、何事もなかったかのように最後まで毅然と演説を続け、その場に居合わせた観衆からは大きな拍手が送られた。
しかし、式典の終了と同時に病院に駆けつけ夫人の死亡を耳にした際には、その場で大声を上げて泣き崩れたという。

文世光は「招かれざる客」であったが、日本語を話す文世光に警備員がVIPと勘違いして通してしまったことが後に明らかになる。
文世光が在日韓国人であった、使用された拳銃は大阪府警のある交番で盗まれた拳銃であること、北朝鮮を支持する朝鮮総連が背後にいるのは明白だったのにも関わらず日本側が認めなかったために日本との関係が悪化、国交断絶寸前になる。
犯人の文世光は逮捕され後に死刑。金正日に「在日韓国人がテロを起こしたらどのようになるか」という考えをもたらし、1987年に起きた大韓航空機爆破事件で2人の北朝鮮工作員を日本人化させ、結果として日韓関係を打ち砕こうとする策略のヒントをもたらしたと言われる。
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